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寂ショウ尾根コースに行く予定だったが、寂ショウ苑入り口を見逃し、道証地蔵に着いてしまい、ズミ沢ルートで登った。登山道の状態がよいので大鹿山分岐から難路コースを進み滑滝見物をした。快晴であったが富士山はシルエット状。しかし、形状の良いシルエット富士が周りの山々の中に見事に収まり、すばらしい景観を作っていた。
滑滝(なめたき:傾斜のある岩の斜面を滑り落ちるような滝) |
| ■登山コース&時間 ズミ沢ルート ・笹子駅-(58分)-道証地蔵-(2時間45分:休憩含む)-滝子山 ・滝子山-(2時間50分:休憩含む)-初狩駅 大鹿山分岐@から難路コースを歩く |
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■滝子山と富士山(白谷丸から) 滝子山は富士山とふじ道と御坂山地を眺める絶好の位置にいます。 |
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■5:40 小田急江ノ島線長後駅 ■8:03 笹子駅から出発。 ![]() ■8:03 バス通りを進みます。 ![]() ■8:26 空が青い。元気が出てきます。 ![]() ■9:01 道証地蔵(みちあかしじぞう)登山口に着きました。 舗装道路をまっすぐ行くと大鹿峠。右側のズミ沢ルートの道に進みます。気温10℃。 実は寂ショウ尾根ルートで登る予定であったが、青い空を眺めて寂ショウ苑入り口を見逃したようです。二人そろって青い空ばかり眺めて歩いていたようです。 看板に「大菩薩連嶺 登山道案内」、滝子山は大菩薩連嶺の南端になり、ここから大菩薩嶺までの登山道の出発地点となります。 ![]() ![]() ■9:36 ズミ沢に沿って進みます。さわやかなで気持ちが良い登山道です。 ![]() ■9:40 三丈の滝。 ![]() ![]() ■9:57 変化に富んだ沢を眺めながら進みます。 ![]() ■10:09 大鹿山分岐@。左が「迂回ルート」右が「注 難路」 滑滝(なめたき:傾斜のある岩の斜面を滑り落ちるような滝)を見るため「注 難路」に進む。 ![]() ■10:21 川までの斜面に樹木が密集して、その斜面に細い平らな道があります。 ![]() ■10:22 平らな道が40cmほどの幅があると、まだ難路ではない。 ![]() ■10:28 立派な滝です。滑滝ではないと思います。滑滝:岩肌を滑るように水が流れ落ちる形態の滝(ヤマレコ)。 ![]() ■10:32 ここら辺から難路。平らな道がなく、斜面を足で踏みしめたような道なので、しっかり足元を確認して進まないと危ない。 ![]() ■10:32 反対側から写した斜面の道。平らな所がほとんどない道です。足底が斜めになるが、体は垂直にするので足に力が入り不安定な状態で進む ![]() ■10:33 道を踏み外すと川まで落ちてしまう斜面。今回は乾燥していたので注意して進めば滑ることはなかった。前回の時は地面が濡れており注意しても滑るのではないかと思える斜面で、一歩一歩足元を確認して進んだ。地面が濡れている時は、「迂回路」へ進んだ方が良い。 ![]() ■10:36 先に行く相棒さんから、これが滑滝と声がかかる ![]() ![]() ■10:37 流れが少し強いが滑滝か。 ![]() ■10:38 大きな岩の斜面の上に薄い水膜を作り、滑り落ちるようなの水流れ。ここは滑滝と思う。 ![]() ■10:39 広い斜めの岩盤の上を、滑り落ちる滝、滑滝です。 ![]() ■10:43 大鹿山分岐A、迂回コースとの合流点です。 ![]() ■11:15 大谷ヶ丸分岐。 ![]() ■11:29 滝子山山頂に向けて気持ちの良い道を進みます。 ![]() ■11:41 これはキヌガサタケか。頭の下にレース状の菌網があるのが本来の姿であるが、その菌網がとれてしまったキヌガサタケと思う。次は菌網があるキヌガサタケを見たいと思い、写す。 サイト「日々の雑記」の「キヌガサタ」に立派な菌網が付いたキヌガサタケがあります。成長記録まであります。 ![]() ■11:42 鎮西ヶ池到着。山頂らしき所ではないが、表示板に「鎮西ヶ池山頂」。池も水溜りのような池。 ![]() 滝子山山頂到着■11:59 滝子山山頂。登山道が頂上を通り、その先が寂ショウ尾根の登山道になりますす。右側には大月市の表示板「秀麗富嶽十二景 四番山頂 滝子山 Mt.takigoyama 1610m」、その先に大菩薩連嶺の山並みが見えます。左側には「滝子山 一六二〇m 山梨百名山」の表示板、こちらから富士山を眺めます。表示板の山頂の標高が異なります。 ![]() ■11:57 「滝子山 一六二〇m 山梨百名山」の表示板と富士山。 ![]() ■11:59 滝子山山頂からの360度パノラマ。360度で眺めた円筒状の景観を平面化しました。そのため、表示板「秀麗富嶽十二景 四番山頂 滝子山 」の方に富士山がいる画像になっています。 この画面では相棒さんが富士山を眺めているように見えますが、円筒状にすると、富士山は相棒さんの後ろにあります。 ■11:59 滝子山からの富士山がいる大展望。富士山からの距離32kmで、このような富士山がいる大展望が見られる山は余りありません。 ■11:58 滝子山からの富士山。 富士山-三ツ峠山-鶴ヶ鳥屋山・本社ヶ丸の重なりを中心において。壁紙用画像1(WUXGA 1920×1200)。 快晴なのに、霞が強く富士山がシルエット状になっています。しかし、この方向からの富士山の形状が素晴らしいので、シルエット富士が全体の景観にぴったりと収まっています。雲の配置も良い。 ■11:58 滝子山からの富士山 壁紙用画像2(WUXGA 1920×1200)。 ■11:59 滝子山からの富士山。 ■11:58 歌川広重「富士三十六景」の縦型の構図にしたくなる富士山です。 ![]() ■12:00 滝子山からのふじ道と富士山(1) ■12:00 滝子山からのふじ道と富士山(2) ■12:00 滝子山からの富士山。60秒で雲の形と位置が変化します。 ![]() ■12:00 滝子山からの富士山。 ![]() ■12:04 滝子山からの富士山。しつこいようですが、雲がなくなってきたので。 ![]() ■12:05 滝子山からの雲のない富士山。 ■12:05 滝子山からの三ツ峠山と富士山。 ![]() ■12:07 滝子山からの三ツ峠山と富士山。 ![]() ■12:06 滝子山からの三ツ峠山と富士山。 ![]() |
頂上手前で「鎮西ヶ池頂上 大月市」の表示板があります。鎮西ヶ池は水たまりのようで、池とは言えない状態です。 そこに頂上が付いているということは、鎮西ヶ池は山の名前でここが山頂ということになります。しかし、とても山頂のようには見えません。 |

| ここで出てくる、鎮西は源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる源為朝(鎮西八郎為朝)のことです。 曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本に為朝が主人公の『椿説弓張月』。私の小さい頃は弓の名人としてのヒーロでした。 史実では、為朝は島送りになった大島で腹を切って自害したとされるが、『椿説弓張月』では、大島を抜け出した為朝は、琉球にわたり、寧王女を助け、琉球を平定するという物語です。 ![]() |
| 為朝に関する伝説は各地にありますが、 大月周辺にも鎮西八郎為朝にまつわる伝説が多くあります。 その中で、鎮西池と鎮西丸と滝子山が同じという話もあり、それが「鎮西ヶ池頂上」という表示板になったかもしれません。 @為朝が大島から抜け出し今の大月市に来て鎮西池付近に住んだ。 A為朝の妻白縫姫が鎮西池付近に住んだ。 Bその中で、鎮西池は鎮西丸(今の滝子山)にあり、滝子山と椿西池は同じ場所である。 C滝子山と並んで同じぐらいの山鎮西山があり、そこにある池は鎮西ヶ池。 Dコンドウ丸と云う高嶺の麓の平地に池があり、この池を「鎮西ガ丸」という。 |
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大月周辺の鎮西八郎為朝にまつわる伝説
滝子山にまつわる白縫姫の話
保元の乱では為朝の軍勢は父為義が切られ、姫の父もほろほされてしまいました。このとき白縫姫は、まだ乳呑児であった為若丸とともに、おつきの者に護られてひそかに城をのがれ、世を忍んで諸国を逃げ歩く旅を続け、ついに甲斐の国にたどり着いたのですが、追手の目をのがれながら、山や谷の道もないところを歩いて、苦労を重ねて、やがて、鎮西山に(今の初狩町滝子山)に着きました。そして山上に小屋を造って住み、水の湧くところに池を掘って、鎮西池と名づけ、別れ別れになった夫 為朝をしのんでいました。 しかし山の上の生活は殊のほか厳しかったので、姫は麓の里に移り、里人の温かい心に見守られてひととき平穏に過ごしたのですが、なおも追手のくるのを恐れて、為若丸を彦太郎と名を変えて里人に預け、故郷の肥後へ向って旅立ったと伝えられています。鎮西池は今も滝子山にあって、白縫姫の伝説をよみがえらせています。 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」 *白縫姫は為朝の妻、白縫神社は鎮西の池のすぐ横にあります。 鏡ケ池
源為朝は・・伊豆の大島へ島流しにされてしまった。・・島を抜け出した。妻子家来と再会したが・・・いまの大月市真木に至った。 真木の恵能野の西に、滝子山と並んで同じくらいの高い山があるが、四方は見渡せるし、池があって水に困らないので、ここを拠点決めた。 源氏の再興を図って、もう一度一旗挙げたいものだと兵力を募っているうちに、都に知れるところとなって、とうとう敵に固まれてしまった。「われらの運命もこれまで」と為朝夫人、侍女たちは次々と池に身を投げ、勇敢に闘った為朝主従もことごとく討死した。 戦が終った後、村人は死者を葬るため、池の中から死体を引き揚げたが、為朝夫人の手には鏡と玉とがあった。 泥に汚れた玉を洗ってやると、にわかに雲が天を覆い、やがて雨が降ってきた。村人は玉に霊力が宿ることを知り、祠を造ってまつった。以来、干ばつのとき玉を出して池に浸し、洗ってやれば、たちまち雨を呼んだという。 こんなことがあって、山を鎮西山、池を鎮西ヶ池といい、またの名を鏡ヶ池ともいうようになったが、付近にはお馬冷し場、菜畑などという地名も残っている。 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版 鏡ケ池
コンドウ丸と云う高嶺の麓の平地に池がある。今は埋もれて菰草が茂っているが、昔鎮西八郎為朝が伊豆から来てこの深山に庵を結んでいた。それでこの池を「鎮西ガ丸」といい、附近に御馬冷し場、菜畠という地名もある。又この池の中から古鏡が一面出たので、これを鏡ヶ池という。これは會て為朝の夫人、侍女などがこの池で自刃したものだろうといい、尚この池から水晶の小さいものを拾い出したが、これを「お玉」と称し、旱魃の時この玉を池に浸せば忽ち雨が降ったという。 (北都留郡誌) 鎮西が池 | 山梨デザインアーカイブ より引用 |
| 上記史料の北都留郡誌にある「鏡ヶ池」は「甲斐国志」の記載からの記述と思われる。 ここでは、コンドウ丸より数町下にある鎮西丸は平地にして池があるとしてます。その同じ頁に「タキコ山」が出てくるので、甲斐国志では鎮西ヶ丸とタキコ山は異なる山としてます。また。異なる頁で「瀧子山」が出てきますが、断定できませんが「タキコ山」と同じで現在の滝子山と思います。 滝子山の山名に関して滝子山 - Wikipediaに滝子山の別名として鎮西ヶ丸を挙げていますが、検討が必要と考えます。 滝子山 山名は滝が多い滝子沢の源流にあたることから。麓から見ると山頂が3つ見えることから、三つ丸とも呼ばれる。丸とは古い朝鮮語で峰を指すマルに由来するとも言われる[1]。源為朝が自害した場所という伝説をもとに、鎮西ヶ丸という山名もある[1] [1]日本山岳会編著 『新日本山岳誌』 ナカニシヤ出版、2005年、706頁。 しかし、「鎮西ヶ池」が甲斐国志でこれほど記述が有りながら、現在の地図、書物に出てこないというのも不思議です。専門家の検討を待ちます。 |


















| 滝子山の山歩き記 2016.04.30 寂ショウ尾根ルート(ルート詳細) |
| 滝子山の山歩き記 2018.05.05 寂ショウ尾根ルート(イワカガミ鑑賞) |