立山展望台での富士山錯視 1 三国山稜を歩き立山展望台に登る。 富士山に最も近い山三国山稜には、(1)2012.8.26(2)2013.7.20(3)2015.7.20(4)2017.7.9に明神峠から4回登った。 三国山稜は、神奈川県・山梨県・静岡県の3県境にある三国山から富士山東麓の籠坂峠へ伸びる延長約7kmの尾根です。富士山の近くに位置する尾根であるため、過去の富士山噴火によって堆積した火山性の土壌(スコリア)が広がっている。その三国山稜の最も西側に位置する山が立山です。 立山山頂から南に300m行くと、須走立山展望台があります。富士山からの距離13qで、富士山に最も近い富士山展望地です。越前岳中腹の展望台、紅葉台展望地は約14qです。その富士山に最も近い須走立山展望台から、とても大きな富士山が見えることを期待して、4回行きました。 ![]() ![]() ![]() 2 立山展望台から富士山を眺める 4回とも避暑が第一目的で、立山展望台からの富士山展望は第二目的のため、富士山が見える確率が最も低い7、8月の夏場に歩いている。 夏場に三国山稜に行くにはバス運行の都合もある。駿河小山駅からの明神峠行きのバスは、4〜11月の間の土・日・祝日に朝8:45発のみ運行し、明神峠から駿河小山駅へのバスは有りません。 そのため、立山展望台から富士山の全貌を眺めたことは有りません。富士山は山頂部をほんの少し、すそ野だけしか見せてくれません。
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![]() 3 立山展望台での富士山錯視 (1)2012,8.26に来た時の拡大図。富士山の左のすそ野しか見えませんでした。富士山全体に雲がかぶさっているようです。 相棒さんが撮ったこの写真で、私が富士山がいる方向を眺めていますが、後ろ姿からその無念さがわかります。 ![]() そこで、写真の富士山の左すそ野に合わせて、カシミール画像で富士山の全体像を作成して、着色しました。 この富士山がいる画像を眺めていると、意外なことに気が付きました。 画面に富士山が現れると、同じ人物の画像なのに、その後姿に喜びを感じます。喜びながら、飽きることなく富士山を眺めているように見えます。 ![]() 繰り返して記述します。 この富士山がある画像を作成して、驚いたのは富士山を眺めている人物が喜びに溢れるているように思ってしまうことです。 富士山が隠れている画面の人物は、無念さが溢れているように思ってしまいます。 3回ほど、繰り返してみてもそのように思ってしまいます。 人物だけ切り取ってみると、人物は草原の上で立っているだけです。何かを眺めているようですが、喜んでいるか、悲しんでいるかなどの気持ちはその後ろ姿からはわかりません。 ![]() この人物が、富士山のない画面と富士山がある画面に立たせると、人物の気持ちが異なるように見えてしまいます。 これは、画面中の人物の気持ちを変化させる「錯視」であると、推察しました。私の脳内の思考過程がそのようになっているのです。 画面に富士山があり、その富士山を眺めている人物は幸せな気持ちになっている、覆すことができない基本的な事実です、と私の脳は思ってしまうようです。
この錯視は私が富士山を眺めた時、喜びの気持ちが溢れる体験をもっており、富士山への愛着が強いためかもしれません。しかし、富士山の場合、日本人の多くの人がそのように感じるのではないかと思います。 このように画面の中に富士山がいて、その富士山を眺める人物の背中には喜びに溢れているように見える錯視を、勝手に「富士山錯視」とよんでいます。 |