■6:12 小田急江ノ島線長後駅発。 ■8:12 JR中央本線大月駅到着。 ![]() ■8:28 桂川の橋を渡る前で、岩殿山全体を写す。山頂の岩壁が「鏡岩」。中腹に「岩殿城跡」の表示板。 ![]() ■8:31 桂川の橋を渡ったところで振返ると、富士山が見える。 ![]() ■8:36 岩殿山の登り口からの富士山。菊花山と高川山に間に富士山がいます。街中で見る富士山は、背丈が低く、小さい。富士山は高いところから見るほど、高く大きくなります。 ![]() ■8:43 17分程登ると、丸山公園に到着。逆光。 ![]() 岩殿山丸山公園からの富士山■8:45 岩殿山丸山公園の展望台からの富士山。大月市街地を前景にして左右の山並みの中央に富士山がいますが、まだ背丈は低く小さい富士山です。 ![]() ■8:45 前面の木は桜。4月の開花時には、桜に囲まれた富士山が見られます。丸山公園は桜の季節に、絶好の富士山展望地になります。この季節には枯れ枝が視界を邪魔します。 ![]() ■8:47 菊花山と高川山から伸びるむすび山の間が、富士みち(富士急行線)の出発点となります。ここから山間の平坦な道を進むと、富士山すそ野の富士吉田に到達します。 ![]() ■8:49 吉田大沢全面に陽が当たり、鮮明な富士山山頂部。 ![]() ■8:50 平成25年にリニューアルした「岩殿山ふれあいの館」。1階は白籏史朗写真館、2階は展望室で、秀麗富嶽十二景コンテスト入賞作品も展示しています。 ![]() ■8:51 丸山公園からの岩殿山山頂・鏡岩。150mの高さの礫岩からなる岩壁。この山頂に進みます。 ![]() ■9:12 真っすぐ進むと山頂の岩殿城跡、左が兜岩。稚児落し。 露出している岩は礫岩。礫岩はさざれ石といわれている岩です。国歌「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」のさざれ石です。稚児落しまでこの岩が続きます。 さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。(ウィキペディアより) ![]() このさざれ石はコンクリートで石を固めたようにみえます。石が抜け落ちているところがあります。 ![]() このさざれ石はかなり堅固。巌に見えます。 ![]() ■9:16 両側が大きなさざれ石に囲まれたところに「揚木戸跡 第二の関門と呼ばれ巨大な自然石を利用して城門をきずいていた。」の表示板。 揚木戸(あげきど)とは、上に開き、支柱でささえる格子戸。 ![]() ■9:19 揚木戸跡を抜けると右側に山頂が見えます。 ![]() ■9:19 山頂には、明治期の陸軍大将である乃木希典の詩碑がある。乃木が明治12年に登頂した際のものです。この奥に岩殿山城跡があります。この詩碑がある広場が、富士山展望地になっています。 ![]() 岩殿山山頂からの富士山■9:20 岩殿山山頂からの富士山 左右の山並みに囲まれた富士みちのさきに白い峰の富士山が聳えています。左が中央本線、中央の道が富士みち(富士急行線)、右の道は笹子トンネルを抜けて甲府に続きます。富士みちと富士山の景観が好きなため、同じような写真が続きます。 ■9:21 江戸時代には多くの富士講の信者がこの富士みちを通り富士山を目指しました。 ■9:23 高川山から伸びるむすび山と左の菊花山が富士みちの関門を作っています。積雪により白い富士みちが印象的です。 ■9:23 富士みちの左右の山の尾根が変化に富んだ前景を作り、その中央に富士山がいます。絶景です。 ■9:23 富士みちの左右の山の尾根が変化に富んだ前景を作り、その中央に富士山がいます。絶景です。壁紙用 ■9:27 富士山からの距離34kmから見る大きな富士山です。 ■9:28 「より美しく見えるように富士山の左右と下をカットしてください」との天上の要求に応えた、見事な富士山です。 ■9:28 富士山山頂部が凛々しく美しい ![]() ■9:29 富士山展望に満足した後、山頂にいた人と記念撮影を撮り合い。ここは駅から一時間でこれる絶好の富士山展望地です。神奈川県藤沢市から出発しても10時前の鮮明な富士山を眺めることができます。 書き忘れるとこでしたが、岩殿山の標高は634mで、東京スカイツリーと同じです。 ![]() ■9:39 岩殿城跡。前回歩いたので今回はこの展望だけ。 今年2016年のNHKの大河ドラマ「真田丸」 第二回で岩殿城関門が登場していました。 天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、新府上を見限った武田勝頼に、真田幸村の父・昌幸が上野岩櫃城の退避を提案するが、岩殿城主の武田家臣・小山田信茂が難攻不落の岩殿山篭城を進め採用されます。しかし、勝頼一行が郡内領へ向かう途中で信茂は勝頼から離反したため、勝頼は天目山で自害します。 小山田信茂はこの後、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑され、これから進む「稚児落し」命名のもとになる信茂側室の千鳥姫伝説に続きます。 その戦国時代の歴史の道を進みます。 ![]() ■10:25 このあたり急坂もあり滑るため、アイゼンを付けて歩きました。 ![]() ■10:33 岩殿山ー兜岩間の展望地からの富士山。稚児落としまでの尾根道で、富士山は木々の間から見え、展望地も数箇所あります。 ■10:33 電線が富士山の中腹を通ります。 ![]() ■10:54 林間コースを行かず、兜岩コースを登って振返る。注意して登れば問題ありませんが、少し腕力を必要とします。 ![]() ![]() ■10:55 兜岩横からの富士山 ![]() ■11:16 天神山山頂。小さい表示板があります。 ![]() ■11:18 天神山山頂横、天神様の祠か ![]() ■11:18 天神山の祠からの富士山。 ![]() 稚児落しからの富士山■11:35 天神山から少し歩くと大岩壁が見えてきます。大岩壁の高いところが稚児落し。左奥の高川山の後ろに富士山が見えます。 ![]() ■11:36 大岩壁に沿った道を進みます。 ![]() ■11:40 左が浅利・大月駅、右が笹原・トズラ峠の分岐。左側の稚児落しに行った後、ここまで戻り、笹原〜トズラ峠間にある「富士山景勝地」まで行きました。 ![]() ■11:41 稚児落してっぺんと富士山 ![]() ■11:43 稚児落しからの岩殿山と富士山。中央に天神山、大岩壁があり、今回歩いた登山道がわかります。 ■11:43 柵のない稚児落しの岸壁の上に立ち景色を眺めると、足がすくみます。 戦国時代、武田勝頼から離反した岩殿城主の小山田信茂が、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。その後、織田軍に追われた小山田一族は岩壁付近に隠れていたが、信茂の側室千鳥姫の赤子・万生丸が声高に泣いたため、小山田家の家臣木幡太郎が、織田軍に見つけられることを恐れ、この岩壁から万生丸を投げ落としたという伝説が「稚児落し」の由来です。 ![]() ■11:43 高川山の上に富士山。その稚児落としを富士山は見ていました。 ![]() ■11:44 木陰から見える富士山 ![]() ■12:29 分岐まで戻り、笹原を経由して「富士山景勝地」に進みます。新雪で、アイゼンを付けた靴が20cmほど沈むため、2倍労力が必要となり、時間も2倍かかりましたが、「富士山景勝地」手前のピークが見えました。ピークのうえに送電鉄塔があります。ここからが、急な登りでかなりきつい。 ![]() ■12:42 送電鉄塔から少し下ったところに、富士山景勝地の表示板。 ![]() ■12:42 稚児落しから1時間ほどで富士山景勝地に到着。雪がなければ30−40分か。表示板は「富士山景勝地」のため「・・・山の富士山景勝地」と呼べない、笹原とトンズ峠の間にあるので「笹原-トンズ峠間の富士山景勝地」にしておきます。 ![]() 笹原-トンズ峠間の「富士山景勝地」からの富士山■12:43 笹原-トンズ峠間の富士山景勝地からの富士山。各山並みが富士山に迫っていくように見えます。手前の山は花咲山(梅久保山) ![]() ■12:43 富士山は鹿留山-杓子山-倉見山と三ツ峠山の間にあり、高川山と対峙しています ■12:43 富士山は高川山と対峙 ![]() ■12:44 高川山が富士山になにか話しかけているようです。「そちらもそろそろシルエットの時間ですね」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 富士山景勝地から雪をかき分け稚児落としに戻りました。 いつもより遅い時刻に、霞んでいく富士山を眺めながらおにぎりを食べ、珈琲を飲む。 稚児落としを出発するときには、午後2時を過ぎているので富士山はシルエットになっています。 宝永山周辺には、雲が出てきました。 通常は10時ごろから発生することが多いのですが、今日はかなり遅い。 今回のコースの富士山展望地ではこの雲が全くない幸運な一日でした。 富士山の雲管理人に感謝して下山します。 ![]() ![]() ■14:31 稚児落しから出発。 ■15:08 浅利の千本松の表示板。ここから車道になります。 ![]() ■15:37 線路上の橋を渡ると大月駅 ![]() ■15:40 大月駅到着 ■17:52 小田急江ノ島線長後駅 END |