富士山展望の山

仙 元 山

読み方:せんげんやま 富士山からの方向角:97度
富士山からの距離:78km
標高:118m
標高差:102m 
基点:JR横須賀線
   逗子駅



仙元山からの富士山


仙元山からの富士山    2014.4.15 8:40





三浦アルプスは三浦半島の中央部やや北よりに位置する、東西約6㎞、南北約2.5kmにおよぶ広大な丘陵地帯で、その西側に標高118mの仙元山があります。三浦アルプスの北の脊梁は、阿部倉山(156m),二子山(207m)、乳頭山(202m)、戸根山(189m)、仙元山(117m)です。


葉山の市街地、相模湾の江ノ島、湘南平、吾妻山、矢倉岳を前景に、大きな山体の富士山が見られます。
海を前景とする富士山は、三浦半島西側、伊豆半島西側、静岡県東側の海岸沿の山等で、貴重な景観です。
気象条件がよければ年に2回(4月と9月)に「ダイヤモンド富士」を見ることができます。


山頂にある石碑には「食行身禄 不二仙元大菩薩」とあり、裏には文政9年(1828年)と刻まれている。江戸時代に盛んに行われた富士山登拝を目的とした富士講を広めた行者、食行身禄のことで、仙元山は富士山の遙拝山として親しまれていたことが伺える。


仙元山山頂



不二は富士、仙元(せんげん)大菩薩は浅間(せんげん)大菩薩で、浅間(せんげん)神、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と同一とされる。
葉山町のHP等には山名の由来が有りませんが、富士山遙拝の山として、仙元山の山名になったと推察します。70㎞以上離れた三浦半島まで、木花之佐久夜毘売の光は届いていました。


食行身禄(
じきぎょう-みろく):1671-1733 江戸時代前期-中期の富士講行者。
加持祈祷中心の村上光清(こうせい)の光清派を批判し,実践倫理を重視する身禄派をおこす。「身禄(弥勒)の世」の到来を予言し,富士山で断食入定,「烏帽子岩三十一日之巻」を口述し,享保8年7月17日絶命。63歳。伊勢(三重県)出身。




■参考コース&時間

・JR横須賀駅からバス7分で風早橋バス停、そこから20分ほどで仙元山山頂に到着。最も短いコースはそこから一回りして風早橋バス停に戻ります。
当方は仙元山から二子山へ登り、東逗子駅まで歩いた。その歩いた道は複雑なので、山の位置だけ記入。

 横浜地下鉄下飯田(7:15)-逗子(7:50)-風早橋バス停(8:10)

-仙元山(8:36)-観音塚(9:56)-分岐(10:43)-

林道終点(10:57)-上二子山(11:46-12:42)

-東逗子駅(13:58)-戸塚駅(14:29)-下飯田駅(14:57)
 
 仙元山と富士山の地図  仙元山登山コ-ス
   


富士山と仙元山  (大山から カシバードで作成)


富士山と仙元山







富士山展望






■仙元山からの富士山と江の島 (2014.4.15 8:42)





■仙元山からの富士山 (2014.4.15 8:42)

画像は霞んでいるため見られませんが、富士山の右側は塔ノ岳、大山、蛭ヶ岳等の丹沢山地、左側は金時山、神山の箱根山、玄岳、達磨山万三郎岳などの伊豆の山々がみられる、雄大な景観です。





■仙元山からの森戸神社の鳥居と葉山灯台(裕次郎灯台) (2016.1.27 9:18)


上の画像の左側の海上にある島は名島(菜島)。そこに立つ赤い鳥居は源頼朝が建設した森戸神社の鳥居です。鳥居の近くには葉山灯台(裕次郎灯台)が立っています。石原裕次郎記念碑もあります。



仙元山からの森戸神社の鳥居と葉山灯台(裕次郎灯台






2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関する事柄 その1

今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。




2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関する事柄 その2

頼朝の死後、御家人同士の梶原景時の変・比企能員の変・畠山重忠の乱・牧氏の変・和田合戦が起こり、実朝暗殺により源氏の政権が終わり、北条義時による執権政治が始まり、後鳥羽上皇との承久の乱に勝利して、北条家執権による武士政権が始まった。謀略と裏切りの凄まじい戦いの連続です。「鎌倉殿の13人」は、三谷幸喜がよくぞ創り出したと思う名作です。
  此の政変の中、北条義時とともに生き残ったのは、三浦義村です。いかにして生き残ったかが、多くの説がある謎の人物です。この三浦義村等三浦一族が支配していたのが三浦半島です。三浦義村が開基した臨済宗建長寺派の福寿寺は三浦半島金田湾南端の丘にあり、義村の墓所も福寿寺の塔頭だった南向院跡にあります。
 




裕次郎灯台

森戸海岸沖500mの名島(菜島)の岩礁に建つ灯台が葉山灯台。石原裕次郎の三周忌を記念して兄・石原慎太郎が会長を務めていた日本外洋帆走協会が約1億円の基金を集めて建設した灯台なので裕次郎灯台と呼ばれています。灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれています。

また、森戸神社の境内の磯辺近くに石原裕次郎記念碑がたっている。石碑には裕次郎さんを偲ぶ文字が刻まれている。
「夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに 太陽の季節に 実る 狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで」
















青い空と海と鮮明な富士山。逗子海岸からも見事な富士山。
サイト「東奔西歩の 『出路迦芽』 写真館」の「 相模湾に映える富士山大歓迎の三浦半島仙元山山歩







野の花




2014.4.15 逗子駅-仙元山-観音塚-上二子山-はがし逗子駅 

スミレ

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ムラサキケマン

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ウラシマソウ

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ヤマブキ

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ホウチャクソウ

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アオキ

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