■三ッ峰北山頂峰から 富士山がいる大展望 (2012.3.29 12:47)
頂上からのこの景観を眺めたとき、まず「ウウ~ム」とうなり、「凄いね、素晴らしい・・・」と相棒さんに声をかけます。声に出してみたいだけで、返答は期待しませんが、「素晴らしいネ」と返答がくる。山登りでしか得られない富士山展望の感動が、三ッ森北峰にあります。
富士山の左に丹沢、道志の山、中央本線沿いの山、中央に富士みち周辺の山、右に御坂山地、大菩薩連嶺、それらの山すそが大海の荒波のように、幾重にも重なりながら、富士山に向かい押し寄せていきます。しかも、その中央に、富士山への開かれた道があります。富士山のすそ野の富士吉田市から大月までの富士みちの平坦部が見えます。更に、大月から古富士みちの平坦部が山すそに一部隠れながらが41km離れた三ッ森北峰まで続いています。富士山が、この道を歩いて頂上まで登っておいでと語りかけているようです。
■三ッ森北峰頂上から 富士山と富士みちと古富士みち。 壁紙用(WUXGA 1920×1200) (2015.2.11 11:34)
富士山への登山口は、大宮口、須山口、須走口、そして吉田口があるが、吉田口は標高が高いために、多くの登拝者が集中した。縄文時代の遺跡からは、富士信仰の祭場とも推測される大環状列石が発掘されており、富士信仰は縄文時代にはあったと思われる。富士講は室町時代に源を発し、江戸時代中期に隆盛をきわめた。
武蔵の富士講の人々は、江戸時代に、小仏峠が開削され甲州街道が整備されてからは、大月より桂川右岸(東側)を吉田口へと向かった(富士道・谷村路)。それ以前は、古甲州道を歩き、小菅白沢の分岐にて南下し、岩殿山の北側を巻き、笹子川を渡り、桂川左岸(西側)を経て、現在の東桂付近にて、その後の谷村路の道筋に合流した。この道は、江戸時代以降も、秩父方面からの富士講の道としても利用され、秩父大道とも呼ばれた(古富士道・秩父大道)
(WUXGA 1920×1200)
■三ッ森北峰から 富士山と富士みちと中央沿線の山々。 (2015.2.11 11:14)
■三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みちを中央にして (2012.3.29 12:49)
古富士みちをカットすると、、甲州街道と富士みちと富士山の展望になり、画面左前方に位置する百蔵山からの展望とほぼ同じになります。
■権現山から三ッ森北峰にいく場合、途中に麻生山があります。麻生山は展望はありませんが、少し進むと 「麻生山北峰」の表示板がありそこからの富士山。富士みちと富士山がほぼ見えています。両側の枝を伐採してくれると、立派な富士山展望地になります。(2012.3.29 12:12)
詳細は以下のページで
■2018.12.29の年末寒波の日の8:53。三ッ森北峰からの富士山としては、最高の写真があります。
サイト「 横手の休日2」の「三ツ森北峰・権現山・扇山・百蔵山・・・・歩き納め」
■「富士山が見える頂はあっちこっちにあるけれど、もしかしたら三ッ森北峰が一番好きかもしれない」と思った方の記録。このサイトの記事で三ッ森北峰を知った。
「富士山に向かって高波が押し寄せているよう」の表現を拝借した。
サイト「あの空の下で会おう」の「 2010-12-11 権現山」
■2013年04月13日(土) 9:20三ッ森北峰から鮮明な富士山と周囲の山並み
■2014年04月05日(土)46.2kmを縦走した記録。
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