富士山錯視と北斎と広重




葛飾北斎「富嶽三十六景」と富士山錯視


北斎は、「富嶽三十六景」(1831-34年版行)の各作品で、富士山を眺める人物の背中を多く描いています。わざわざ富士山展望台に行き富士山を指さし喜ぶ人物、半分以上が富士山を眺めている大名行列、富士山を眺めて会話する馬追と釣り人。毎日何回も富士山を見ている船頭が、夕方の富士山を櫓をこぎながらまた眺めています。
富士山を眺める人物の背中には、喜びが溢れてているように見えます。北斎は「富士山錯視」という言葉は当然知りませんが、それが表わす現象と効果を十分理解して作品を描いていたようです。

この富士山を眺める人物の背中を描くことも一因となり、江戸庶民の共感を得て売れ行きは好評で、さらに十点を追加して販売された。また、これにより名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立された。

富士山を眺める人物描写の観点から、私は北斎の「富嶽三十六景」の方が、広重の「冨士三十六景」より好きです。


「富嶽三十六景」の各作品を、「富士山錯視」の観点から見ていきます。



1 北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」


北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」は「富士山錯視」を見事に適用した作品です。五百羅漢寺栄螺堂は、本所五つ目にあった三層のお堂で、富士山を眺望する場所としては人気が有ったようで、多くの人でにぎわっています。



北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」


北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」     富嶽三十六景 - Wikipediaより引用。他の作品も同




登場人物9人のうち7人が冨士山を眺めています。その背中には富士山を眺める喜びがあふれています。隣の人も同じように富士山を眺める喜びを持っているということで富士山を眺めている人物の間に連帯感が出てきます。登場人物の多くが一体化して喜びに包まれています。




北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」の人物の背中



作品を見る江戸庶民も登場人物と一緒に富士山を眺めていたと思います。これにより「富嶽三十六景」の作品と江戸庶民の間に連帯感が出てきます。

この頃の江戸は、民衆信仰の一つである富士講が流行し、江戸の各地に冨士山の紙を祀った富士塚が築かれていました。そのため、この北斎の「富嶽三十六景」が人気を博してさらに十点を追加して販売され「富嶽四十六景」になりました。




北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」を見る江戸の庶民




冨士山がいないと、材木置き場を見て感動することもできず登場人物も戸惑っています。

「霞が強いのかな」、「材木置き場の左側に見えるはずですが・・」。人物の背中に落胆の気配を感じます。




富士山がいない北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」








北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」と同じ趣旨の光景が有りました。矢倉岳山頂広場の富士山を眺める登山者と富士山です。(2010.05.03 11:42)五百羅漢寺栄螺堂に登って富士山を眺望する客たちと同じ雰囲気です。場所は異なりますが、200年前の江戸庶民と同じ気持ちで矢倉岳岳から富士山を眺めています。

その背中には富士山を眺める喜びがあふれています。隣の人も同じように富士山を眺める喜びを持っているということで富士山を眺めている人物の間に連帯感が出てきます。 





<font size="+0">矢倉岳山頂広場の富士山を眺める登山者と富士山</font>






2 北斎「富嶽三十六景 御厩川岸両國橋夕陽見」


富士山は小さくとも作品の主役で、人物の中心となる船頭さんは櫓を漕ぎながら富士山を眺めています。毎日眺めている富士山ですがじっくり眺めているように見えます。乗客の半分ほどが富士山を眺めています。作品を見る人も一緒に黄昏時の富士山を眺めます。富士山眺めて、河渡という雰囲気です。



北斎「富嶽三十六景 御厩川岸両國橋夕陽見」


北斎「富嶽三十六景 御厩川岸両國橋夕陽見」





3 北斎「富嶽三十六景 従千住花街眺望ノ不二」


大名行列の半分以上の人物が富士山を眺めながら歩いています。赤い袋に入れた鉄砲を担ぐ連中は、花街の街並みよりも富士山を眺めているようです。



北斎「富嶽三十六景 従千住花街眺望ノ不二」


北斎「富嶽三十六景 従千住花街眺望ノ不二」



3 そのほかの「富嶽三十六景」」


「東海道吉田」、「礫川雪ノ且」両方とも富士山眺望を売りものにしている建物です。じょお性に人気があります。



3 北斎「富嶽三十六景」の富士山を眺める登場人物

富士の眺望を売り物にした「不二見茶屋」。店の女将の富士山の説明を聞き、女人二人が指さしながら富士山を眺めています  富士見で有名な茶屋の二階から、女人たちが富士山を指さして感嘆の声をあげています。富士山も女人たちを眺めています。
   
東海道吉田   礫川雪ノ且
 東海道吉田  礫川雪ノ且



「武州千住」 馬を連れた農夫と笠を被った釣り人が富士山を眺めて友達になれます。

「相州梅澤左」人物が出てこないと、蔓に富士山を眺めさせています。つるにも「富士山錯視」は適用でき、その背中に喜びが満ちて今明日。


 馬を連れた農夫と笠を被った釣り人が富士山を眺めながら「今日の富士山はいいね」、「晴れた日は富士山」と言っているようです。
人物がいないで、動物だけの作品ははこれだけ。手前の山は矢倉岳と言われています
   
 武州千住  相州梅澤左
  武州千住 相州梅澤左



「身延川裏不二」 馬子、天秤棒を担ぐ人物は富士山を眺めながらは身延山中の坂道を登っています。


「甲州犬目峠」 甲斐犬目峠を登る二組の人物がいますが、全く富士山を眺めていない。 上の組は「お前しっかり歩きなさい」と叱っている。下の組は「そんな気持ちじゃ、世の中で生きていけませんよ」と説教している、と思いたくなるほど重たい雰囲気です。富士山を眺めている人物がいる明るさが有りません。こんな明るくゆったりした富士山のもとに、このような人物を何故描いたか。

特に犬目峠は江戸からの、富士講信者などの旅人が初めて富士山と対面する場所です。富士山を眺めて喜ぶ人物を好んで描く北斎が、旅人が最も喜ぶと思われる犬目峠でその喜びにあふれた姿を何故描かないか不可解です。

富士講は、江戸幕府からはその宗教政策上好ましくないと見なされしばしば禁止令が出されており、出版元がそこを忖度して「甲州犬目峠」から富士講の雰囲気を除いたかもしれません。



 坂道を下る駕籠舁きは富士を眺めていないが、馬子、天秤棒を担ぐ人物は富士山を眺めながら身延山中の坂道坂道を登る。

甲斐の犬目峠を登る二組の人物は全く富士を眺めていない。
上の組は「お前しっかり歩きなさい」と叱っている。
下の組は「そんな気持ちじゃ、世の中で生きていけませんよ」と説教している

と思いたくなるほど重たい雰囲気。



 



 身延川裏不二
 甲州犬目峠
 身延川裏不二   甲州犬目峠

図7-14は富嶽三十六景 - Wikipediaより引用

 



4 北斎「富嶽百景」


「富嶽三十六景では以外にも全員が富士山を眺めている作品がアrません。そこで北斎「富嶽百景から全員が富士山を眺めている作品を探しました。「富士山錯視」画面に富士山を眺める喜びがあふれています。


(1)「来朝の不二

朝鮮通信使の来朝風景です。20人程の朝鮮人すべてが日本の富士山を眺めています。最も富士山を眺めている背中が多い作品です。「富士山錯視」満載の作品です。行列の前の後ろも、富士山を眺める人物がいるように見えるので、画面の外まで富士山を眺める喜びが漂っています。








(2)孝霊五年不二峯出現

霊五年に富士山がとつぜん出現という伝説があり、富士山を指さしている人物ががその富士山の出現を説明しているのか。全員が富士山を眺めています。



北斎「富嶽百景 孝霊五年不二峯出現」


北斎「富嶽百景 孝霊五年不二峯出現」    

【みんなの知識 ちょっと便利帳】葛飾北斎・富嶽百景《孝霊五年不二峯出現》 より引用






(3)「千束の不二」

日蓮終焉の古跡池上本門寺の西1里余の所ににある千束池(今の洗足池)という説があります。北斎が尊ぶ二つを描いた作品になります。



(4)「富嶽百景 掛物の発端」

窓の障子をとると掛け軸のように富士山が見えています。




 北斎「富嶽百景 千束の不二」
 北斎「富嶽百景 掛物の発端」
北斎「富嶽百景 千束の不二」 
北斎「富嶽百景 掛物の発端」  
【みんなの知識 ちょっと便利帳】 富嶽百景/千束の不二》 より引用 【みんなの知識 ちょっと便利帳】富嶽百景/掛物の発端》 より引用






立山展望台での
富士山錯視
富士山錯視とは 山歩きでの
富士山錯視
 葛飾北斎「富嶽三十六景」
と富士山錯視
安藤広重「冨士三十六景」
と富士山錯視