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太宰治「富嶽百景」を読む「富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。 北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。」 「富嶽百景」の冒頭の文章です。富士山の紹介が広重などが描いた浮世絵の富士山頂角、陸軍の実測図による東西及南北の具体的な数値で解説して、読者の心をぐいとひきつけます。「富嶽百景」の題名と呼応した見事な文章と言われています。 しかし、これらの文章は、この後の小説全体の展開を壊す問題のある記述であると思っています。 ![]() |
鍋山山稜のブナ林を歩く鍋割山は、神奈川県北西部に広がる丹沢山地の南部にある標高1273mの山。鍋割山登山には、自分の足で山を登る楽しさに加えて、更に三つの楽しみがあります。 (1)4ヶ所の富士山展望地から富士山を眺める。(山頂手前の富士山展望台、鍋割山山頂、小丸手前の登り坂、小丸尾根分岐) (2)山頂で鍋割山荘のアツアツの鍋焼きうどんを食べる。 (3)鍋割山稜(鍋割山~小丸尾根分岐)のブナ林の尾根歩き これは、(3)鍋割山稜(鍋割山~小丸尾根分岐)のブナ林の尾根歩きの各季節の記録です。
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大野山からの富士山・その視線の流れ平らな山頂部、荒々しい宝永山火口と宝永山、ポコポコと愛らしい二ツ塚、左下方に広がるベロのような冠雪部「雪舌」、飛ぶ鳥のような小富士の冠雪部、広く窪んで流れる吉田大沢、すそ野を支える小御岳、富士山中央部に迫る三国山稜。大野山からの富士山は構成要素がが多く変化に富んでいます。
ひとつひとつを見ようとすると視線が発散してしまいそうですが、ゆったりとして眺めている。何故か・・・・富士山が、私の視線の流れを誘導してくれていることに気づきました。これにより、順番に各構成要素を眺めた後に、力強く、安定感があり、美しい富士の全体を眺め、ため息をついて「素晴らしい」とつぶやきます。その視線の流れを図示します。 ![]() |
大野山からの富士山・このようにして山座同定を行ないました。
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熟年夫婦富士山展望の山を歩く 2007年(平成19年)【正昭59歳泰子56歳】から2024年(令和6年)【正昭76歳泰子73歳】の登山記録。588回登っています ほぼ年間50回ほど山歩きをしています。ほぼ週に一回です。そこで野の花と富士山を眺めて心の栄養を貰い、一週間は体も心も充実感で満たされて一週間過ごします。2019に正昭が脊柱管狭窄症になり、その後リハビリ中。 2014年にPENTAX Q7が発売された。その時点ではミラーレス一眼レフの世界最小の軽量カメラで、超広角の交換レンズ08がある。山に持っていくカメラとして、自分が想定していた要求にぴったりである。体の前面に装着したケースからすぐに取り出せ、山歩きの邪魔にならない。この時から、PENTAX Q7で富士山を撮りまくりました。
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